若い頃は無謀な挑戦をしたもんだ・・・

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ALOHA.

 

「湘南は昼過ぎから雨が降っていて寒い・・・今年は雪が少ないな、湘南は・・・。」

 

世間では大学院で「赤とんぼの生態」を研究してる人がいるんだな。

TV ニュースで「赤とんぼの生態を研究してる准教授が教え子を殺害。」だってさ。

 

頭の悪いおっさんからしてみると・・・、

「小学生の夏休みの自由研究の様なテーマを、何で大学院へ行ってまで・・・。」

もし、おっさんが親父(もう十数年前に亡くなったが)に、

「大学で赤とんぼの生態について研究する。」って言ったら百発は殴られただろう。

「赤とんぼの生態!そんな事より金を産む事を勉強しろ!馬鹿言ってると殺すぞ!」

それでも言い続けたら、本当に殺されたかも?・・・怖い!

 

実際に高校生の頃。

「お前は、大学はどうするんだ?高校卒業したら、俺の会社に入るか?」って。

(親父は、不動産をメインにチョコチョコ商売をやっていた。)

「いや、大学に行くよ!」

「そうか!大学に行って、経営や経済でも勉強するのか!」

「俺、彫刻家になるために彫刻学科のある大学に行きたいんだよね!」

(あの頃は、真剣にロダンやミケランジェロの様になりたいと思ってた!)

「やっぱり、お前は馬鹿だね!本当の大馬鹿だね!こんな馬鹿見た事無い!」

後は・・・大興奮で「馬鹿」の連呼・・・確か・・・五千回くらい言われた。

(一生分の「馬鹿」を言われたけど、今でも彼女に言われてる。馬鹿継続中!)

「そんな大学に行っても、金は出さないぞ!大馬鹿!クソ馬鹿!馬鹿は死ね!」

 

親父に内緒で東京芸術大学美術学部彫刻学科を受験した。

(母親に受験料3,000円を出して貰った。)

おっさんの場合は、センター試験や共通一次試験なんて時代じゃないよ。

国立一期校や国立二期校の時代・・・東京芸大は国立一期校だった。

 

受験の一日目は、木炭で描く「石膏デッサン」、石膏像の名前は忘れたけど・・・。

(受験の流れは、石膏デッサン試験→塑造試験→学科試験の三段階で行われた。)

描き始めて30分、周りの人々のデッサンを見たら「あっ!無理だ!」と分かった。

しかも、隣の人の受験生を見て・・・「この人はスゲー老けてるな!」

年を聞いたら、何と28歳!(流石10浪、しかし素晴らしいデッサンをしていた。)

おっさんは、そそくさと後片付けをして教室を出た。(途中退室。)

「無理だよ!親父の言う事は本当に正しかったよ。」

芸大受験の思い出に・・・(二度と此処には来る事は無いだろうなと思いながら)、

芸大の学食でカツ丼を食べた。(凄く旨く感じたが、受験料3,000円無駄だったな!)

そして上野公園の鳩を蹴散らしながら家路を急いだ。

 

「あの頃は、おっさんも『赤とんぼの生態』と同じ事をやろうとしていた訳だ。」

その後は・・・見事に二浪したけどね。

 

ところで・・・。

上の画像は、カウアイ島で宿泊したコンドミニアムのラナイ。

「こんな事務所だったら良いね!楽しくノーンビリと仕事出来そうじゃない!」

 

MAHALO.