ハワイに日本人移民が多い訳⑤・・・

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ALOHA.

 

「春先の変わりやすい天気を『三寒四温』って言葉がある、正しくそんな天気。」

 

天気予報上は3月から春・・・TV の天気予報で『三寒四温』を連呼している。

3日程寒さが続いた後、4日程暖かさが続く。

 

元々は中国の言葉であり冬の寒暖の周期の変化を表す言葉。

日本では寒暖の周期の変化が冬では無く、春先に来るために春に使っている。

 

春先に低気圧と高気圧が交互にやって来て、寒くなったり暖かくなったりを、

繰り返すから「三寒四温」と呼んでいるんだろう・・・と思うけど。

 

 

 

 

昨日。

「カラカウア国王が姪のカイウラニ王女と日本皇族の山階宮定麿親王との

婚約を提案した。もしも、明治天皇がカラカウア国王の提案を受け入れていたら

ハワイは日本のモノとなっていたかもしれない。」と書いた。

 

これは、おっさんが単純にひょっとしたら?って感じの単なる私見だった。

しかし、本やネットで調べてみたら・・・。

 

カラカウア国王の世界一周旅行に随行したアメリカ人のアームストロング自身が、

「我々国王の側近者は、その後(世界一周旅行の後)の王の行動に深き注意を払う様

になった。国王の計画が日本天皇陛下によつて御嘉納(ごかのう)になつていたら

ハワイは日本領土となる経路を取るに至ったであろう。」と書いている。

※この事はGHQは封印していた様だ。

 

「おっさん凄くない?!もしハワイが日本の一部だったら布哇県か!

きっと布哇県に移り住んでたな!波乗りしながらコーヒー農園を経営かな?」

 

さて、白人(米国)の侵略を何故?カメハメハ一族は黙って見ていたのだろうか?

黙って見ていたと言うより、カメハメハ一族は積極的に白人を受け入れていた。

(疲れて来たら途中で終わると思うけど・・・。)

 

「おっさん・・・何故?カメハメハ一族が評価されているのか分からない。」

 

 

【ハワイのお浚い(おさらい)】

・ハワイ王国(1795~1893年)

・ハワイ共和国(1893~1898年)初代大統領はドール(バナナとパイナップルの)

・ハワイ準州(1898~1959年)

・ハワイ州(1959年8月21日~)「今や私たちは皆ハオレ」といった流行語が出来た。

※初代大統領ドール=サンフォード・B・ドール。バナナとパイナップルのDole。

※「ハオレHaole」白人、「カナカKanaka」その土地の人。

 

カメハメハ1世とその子孫が支配した、カメハメハ王朝は77年間続く。

(ハワイ王国は98年間。)

 

「続きは明日にします。色々調べているとハワイの歴史に詳しくなった。」

 

【追記】

1993年米国市民を代表し、クリントン大統領及び米国議会がハワイ先住民に対して

「ハワイ王国の転覆とハワイ先住民の自決権剥奪」について謝罪状に署名した。

しかし、共和党主導の連邦議会からの反対にあった事が主な理由となり、

これ以降の認知と補償については達成する事は出来なかった様だ。

 

「米国はハワイ併合が違法であったことを認めた訳だな!」

 

MAHALO.