ALOHA.
「今日も蒸し暑い一日だった・・・70年前の今日、広島市に原爆が投下された。」
「8時15分、一分間の黙祷を行った。」
ふっと” No more Hiroshima, no more Nagasaki. ” って言葉を思い出した。
本当は、No more Hiroshimas, no more Nagasakis. なんでしょう?
Hiroshima と Nagasaki の後に” s ” を付けるんでしょう?
どうなのかな?
「当時の広島の天気が気になった・・・今日の様に暑かったんだろうか?」
そして、いろいろ調べてみたら天気図等があった。
昭和20年(1945年)8月6日の全国の天気図だけど・・・。
午前6時の天気図には・・・広島は快晴、風力2、気圧764mHg と記入されている。
しかし・・・。
午後6時の天気図には・・・広島の部分は空白となっていたらしい。
何故か?と言うと・・・、
原爆投下後に観測結果を、東京の中央気象台に送る事が出来なかったらしい。
当時、広島の気象台のあった場所は江波山という場所にあったらしい。
そこは爆心地から約3.7km 離れた位置にあって建物は、爆風の直撃を受けた。
勿論、気象台員の多くも負傷したが、一日も休む事なく気象観測を続けました様だ。
爆風で建物や機材が爆風の直撃を受けて気象データを送る事が出来なかった。
「当時の天気図を探したらあった!」
午前6時の天気図・・・「確かに広島の辺りに天気記号と 764 って数字があるな。」
午前6時の天気図・・・「広島辺りには数字や記号が無い、島根辺りに数字がある。」
8月6日の広島気象台の「当番日誌」ってのを見つけたのでコピペします。
(※分かりずらい所は手を加えました。)
「8時15分頃 B29 広島市を爆撃し、当台測器及当台付属品破損せり、
台員の半数爆風のため負傷し江波陸軍病院にて手当し、一部は軽症のため、
当台にて専修科生が手当てせり。盛んに火事雷発生し横川方面大雨降る。
栗山事務員(女)8月6日朝、県庁を廻って出勤することになっていたが、
原爆死せるものと偲(しの)む。」
と記していたようだ・・・当時の様子が少しだけ分かるな。
「やはり、アメリカ軍も投下する時にある程度、天気を調べたんだろうな?」
広島は良く晴れた、雲一つない晴天だったんだろう。
生きるか死ぬかの戦争だ!当然、天候も調査するよな!
「科学的な根拠も無く、勢いだけで戦争していたのは日本だけかも?」
「残念ながら・・・勢いや根性や我慢なんて・・・未だに言ってるからな。」
「もし、広島が悪天候だったら・・・他の場所に投下されたんだろうな?」
8月6日が晴天なのは偶然の産物なのかな?(言葉の使い方が違うかな?)
MAHALO.