ハワイに日本人移民が多い訳③・・・

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ALOHA.

 

「午後からは大雨が降ったり止んだりの不順な天気だった。」

 

大雨が止んで晴れているが・・・日本は虹が出ないね。

ハワイだったらそこいら中に虹が出ているのに。(そこいら中は大袈裟だけど。)

 

 

 

 

金曜日の続き・・・「ハワイに日本人移民が多い訳・・・」

 

ハワイ王国の歴代の国王を金曜日にお浚(さら)いをした。

※2月26日金曜日の【付録】参照。

 

第2代国王カメハメハ2世以降、欧米人の宣教師・捕鯨船・商人が次々現われ、

それと共にハワイ諸島の資源が乱獲されていった。

そして、ハワイ王国の国土75%(四分の三)を白人(欧米人)が保有してしまった。

何故なら、当時のハワイアンは土地を所有するという考え方が無かった為、

タダ同然で白人(欧米人)達に占領されていってしまった。

しかも、

白人(欧米人)の持ち込んだ淋病・天然痘などに免疫のなかったハワイアンは、

人口が30万人から5万人に激減するという危機に瀕していた。

 

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カラカウア国王 David Kalākaua (画像:Wukiprdia より)

 

そこで、第7代カラカウア国王(在位:1874年 – 1891年)は、

密かに考えていた日本と同盟を結んで、アジア・太平洋地域に「同種族」の連合を

作り上げて白人(欧米人)の外来勢力の拡大を阻止して独立しようとしていた。

 

1881年3月、カラカウア国王は密かに赤坂離宮を訪れ、明治天皇との会見を乞うた。

※突然のカラカウア国王の訪問に、快く受け入れ明治天皇も素晴らしい。

 

そして、

明治天皇に現状のハワイ王国が白人(欧米人)間に生じるやっかいな事態を、

説明し日本へ下記3項目の協力を仰いだ。

1.ハワイアンの人口減少を同一種族である日本人で補うため 日本人移民の実現。

2. 王位を継がせる姪のカイウラニ王女と日本皇族の山階宮定麿親王との婚約申入れ。

3. ハワイと日本の友好によって、将来の太平洋の発展に寄与したい。

 

明治天皇からの回答は・・・。

1. 日本人移民の実現。

・1885年には官約移民が実現した・・・946名がハワイへ渡った。

官約移民=政府の斡旋した移民。

・1894年は民間に委託され、約29,000人がハワイへ渡った

※1860年、カメハメハ4世時代にも移民の要請はあったが、明治維新の混迷期のため

対応されず。

※カメハメハ5世時代にも要請があったがハワイ王国が条約未済国のため許可されず。

 

2. 王位を継がせる姪のカイウラニ王女と日本皇族の山階宮定麿親王との婚約申入れ。

・明治天皇は婚姻の議は謝絶した。

謝絶の理由。

・日本の皇室にはそのような前例が無い。

・米国の勢力圏に立ち入るのを好ましく無い。

この時、日本は既に「ハワイ王国は米国の勢力の元にある。」と認識していた様だ。

 

今回のカラカウア国王の行動について御冠(おかんむり)の米人勢力は、

1887年に新憲法を起草し、圧力でカラカウア国王に承認の署名をさせた。

新憲法は「銃剣憲法」と呼ばれた。

 

きっと米人勢力はカラカウア国王に、

「おまえ!勝手な事やってんじゃねーよ!」

「日本に行って何を言ってんだよ、有色人種はお前らだけで十分だよ!」

「国王なんて名ばかりで飾りなんだよ!抹殺するぞ!」何て言ったんだろうな?

 

その「銃剣憲法」内容は、

・国王の政治的行為は、全て米人議会の承認を必要とする。

・議会選挙は、土地を所有する者だけが有権者の条件がある。

よって、多くのハワイアンは選挙から排除された、日本人移民なんか問題外。

そりゃあそうだ、ハワイの75%の土地を白人が所有しているんだから。

 

そして、カラカウア国王はアルコール依存症によって体調を崩し死亡した。

 

カラカウア王の後を継いで、実妹のリリウオカラニ女王が即位した。

女王はハワイアンにも選挙権を与える新憲法の発布をしようとしたが、

米国白人側はこれを機に一気に王制打倒に動き出した。

「血に飢えた、そして淫乱な女王が恐怖の専制王権を復活させようとしている」

と訴え、海兵隊員160名を上陸させ政府庁舎や宮殿近くを制圧した。

女王は流血を避けるために王権を放棄した。

 

そして、ハワイ政府庁舎に星条旗が掲揚された。

「ハワイの実(西洋梨)は完熟し、今こそアメリカがそれをもぎ取るのに、

黄金の時が訪れている。」とフォスター国務長官にハワイ併合を訴えた。

 

1893年、米国の革命によりハワイ王国が消滅しハワイ共和国となる。

1898年にはハワイ準州としてアメリカ合衆国に併合された。

 

 

『ハワイのカラカウア国王が、わざわざ日本に来てハワイアンの人口減少を、

同一種族である日本人で補うため 日本人移民を明治天皇に嘆願した訳だ。』

それなのに・・・日本人移民の待遇は過酷で実態は人身売買に類似していた。

それもこれも、ハワイ王国の国土75%を所有する米国白人の・・・。

 

 

もし、カラカウア国王の姪カイウラニ王女と日本の皇族が結婚していたら、

日本とハワイの関係はどの様な感じになっていたのだろうか?

 

「おおよその事は分かったと思う、明日は『まとめ』を書くつもり。」

 

MAHALO.

 

 

 

 

ハワイに日本人移民が多い訳①・・・

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ALOHA.

 

「昨夜11時頃、チラチラと雪が降った。寒い筈だよなーっつ!」

 

今朝は相変わらずの冬晴れで気温5度。

いつまで続くんだろう?この寒さは・・・「冬は要らないな。」と痛切に思う。

 

 

 

話は360度変わるが・・・360度じゃあ元に戻るから350度位にしとくかな。

 

唐突だけど・・・。

「何故にハワイには日本からの移民が多いのか?」を考えてみた。

 

一般的な認識では・・・。

昔々の日本に仕事が無かった。

日本の行政が「ハワイには仕事が沢山あるから行ってみなよ。」と公募した。

「日本に居ても仕事は無いべ、じゃあ新天地ハワイでガンバンべーよ!」

って感じで日本人はハワイへ移住して行った・・・と認識している。

 

「本当にそれだけだろうか?移住した理由はその通りだと思うが、他にも・・・。」

小さな脳ミソで色々考えてみた。

「白人(欧州人)がハワイへ大挙して押し寄せた事が原因じゃあないだろうか?」

 

 

「昔々の大昔、太平洋に浮かぶ島々には白人(欧米人)は居なかった、日本含む。」

 

先ずは、日本とハワイの民族のルーツを調べてみた。

(日本とハワイ以外の島々の民族のルーツは面倒だし興味無いので調べない。)

 

先ずは日本から。

日本人のルーツは、様々な説があるが「縄文人」が日本に最初に定住した説が有力。

後に、モンゴロイド系の「弥生人」が移り住み始めたとの事。

よって、日本に2400年前にやって来た最初の外国人が「弥生人」って事になる。

 

ハワイはご存知の通り、

マルキーズ諸島から小さな船に乗ってやって来たのがハワイの先住民とされている。

そう、ポリネシア人がハワイアンのルーツとなる。

そして、ハワイに最初に来た外国人は、キャプテン・クックが1778年に来航した。

※要注意:キャプテン・クックは通称で、正式な名前はジェームズ・クック。

※名前は似ていても、あの料理サイトのクック・パットとは全く無関係らしい。

 

では、白人(欧米人)は日本とハワイに何時やって来たのか?

 

・日本に最初に来た白人(欧米人)は、1549年にフランシスコ・ザビエル。

フランシスコ・ザビエルはスペイン人でバスク民族。カトリック教会の宣教師

・ハワイには、1778年にキャプテン・クックがやって来た。

キャプテン・クックはイギリス人で海軍士官であり、海図製作者でもある。

しかし、来航の翌年(1779年)にハワイの先住民との争いによって命を落とした。

 

「この二人が切っ掛けに、太平洋の島々に白人が雪崩込んで来た訳だな。」

欧米人によって、太平洋の島々の領土や資源等々の分捕り合戦が始まる。

 

次は、日本とハワイの関係について。

 

先ずは、忘れてはならない日本人が居る・・・その名は「ジョン万次郎」。

ジョン万次郎こと、本名中濱満次郎。

ジョン万次郎は1839年に日本人で最初にハワイへ行った人。

※Wikipesia には1841年と記してあるが、恐らく間違いで1839年だと思う。

日本人で米国に最初に行った人でもある。

※検索サイトで「ジョン万次郎」を検索すると「居酒屋ジョン万次郎」があるが、

決して、ジョン万次郎は居酒屋の店長だった訳じゃあ無いので誤解しない様に。

 

ジョン万次郎は4人の漁師仲間と鰹漁に出ていて嵐に合い漂流していたところを、

アメリカの捕鯨船に救助されたが、日本は鎖国状態の為に日本へ寄る事が出来ない。

しょうがないから、捕鯨船はジョン万次郎達を寄港先のハワイに降ろした様だ。

この時、ジョン万次郎は14歳。

万次郎は「ハワイで1年暮らした。」と「英語を学びたく捕鯨船に着いて行った。」

の説があるが、どちらにしても万次郎はアメリカ本土で10年暮らした。

万次郎はアメリカ本土へ向かったが、残りの4人はハワイに降立ち暮らした。

 

おっさんは、ジョン万次郎がハワイ(オアフ島)を見た時の一声を想像してみた。

恐らく、14歳の万次郎はこう言ったと思う。

「暖かいな!パパイヤが美味しそうだな!フラでも習ちゃおうかな!ワクワク。」

 

アメリカに住んだ初の日本人万次郎は、ボストン近くのフェアヘブンで暮らした。

ハワイに残った4人の内1人、寅右衛門はハワイアンの女生と結婚した様だ。

 

この寅右衛門さんの方が、万次郎よりフィーチャーされないと不味いんじゃ無い?

「ところで、寅右衛さんの子孫に非常に興味ある。」

 

また、寅右衛門を除く3人の内の1人、重助はハワイで亡くなっていた。

重助の墓はカネオヘに残っている様だ。

重助の墓石には・・・。

IN MEMORY OF JUSUKE 1816‐1841 FIRST JAPANESE DECEDANT TO DIE IN HAWAII

と刻まれている。

ハワイに降立って4年余りハワイで生活をした事になる。

 

残りの2人はアメリカ本土に居た万次郎がハワイに寄り一緒に日本へ帰国した。

 

「疲れて来たので・・・続きは明日。結論まで2日掛かりそうだな」

 

MAHALO.