ハワイに日本人移民が多い訳④・・・

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ALOHA.

 

「今日は非常に良い天気だったが・・・まだまだ空気が冷たい、まだまだ冬だ。」

 

今日3月がスタートした。

正月から昨日(2月29日)まで「あっ!あれ?」と言う間に過ぎた。

そして「ありゃーっ!」と言う間に人生が終わるんだろうな?!

 

 

 

話は変わるが・・・

「ハワイに日本人移民が多い訳・・・」の纏め(まとめ)を書こうと思ったが、

まだ、書かなくていけない事があった。

 

「何故?カメハメハ王一族は、白人の侵略を許してしまったのか?」

特に、カメハメハ1世以降のカメハメハ2~5世は「何やってたんだ!」って感じだ。

 

 

アメリカに併呑(へいどん)されることを怖れた7代目のカラカウア国王、

「ハワイ王国の存続」に必死だった様だ。

余は、「カメハメハ一族のケツ拭き」の為に奔走(ほんそう)した。

 

カラカウア国王が明治天皇へ提案した。

・カラカウア国王の姪カイウラニ王女と日本皇族の山階宮定麿親王との

婚約。(当時山階宮定麿王は13歳、カイウラニは5歳。)

 

もし明治天皇がカラカウア国王の提案を受け入れていたとすれば、

ハワイは日本のモノとなっていたかもしれない。

ハワイが日本のモノだったら第二次世界大戦は起きなかったかも?

尚且つ、日本人移民なんて無かった。

 

 

カラカウア国王が世界一周旅行から帰国後・・・。

・米国宣教師が否定した神話・伝説の復活。

・ハワイ正史の資料を体系的に整理「ハワイ史の編纂(へんさん)事業」。

・宣教師によって禁止されていたフラダンスを復活。

・ハワイ国歌等、沢山の民族音楽を作詞作曲。

等に取り組だが・・・1893年ハワイ王国消滅。

 

米国はハワイの位置から見て北太平洋における軍事上の要だったんだと思う。

(沖縄やグアムと同じ位置づけだと思う。)

米国は国益上に有益な場所にある国は、国策上占領すべきだという身勝手な

考え方があるな。

明治政府は分からず移民を斡旋していたのだと思う。

 

明日以降は・・・カラカウア国王に苦労させやがって。

「カメハメハ一族は何やってたんだ?」を書いて行こうと思う。

 

MAHALO.

 

 

 

 

ハワイに日本人移民が多い訳③・・・

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ALOHA.

 

「午後からは大雨が降ったり止んだりの不順な天気だった。」

 

大雨が止んで晴れているが・・・日本は虹が出ないね。

ハワイだったらそこいら中に虹が出ているのに。(そこいら中は大袈裟だけど。)

 

 

 

 

金曜日の続き・・・「ハワイに日本人移民が多い訳・・・」

 

ハワイ王国の歴代の国王を金曜日にお浚(さら)いをした。

※2月26日金曜日の【付録】参照。

 

第2代国王カメハメハ2世以降、欧米人の宣教師・捕鯨船・商人が次々現われ、

それと共にハワイ諸島の資源が乱獲されていった。

そして、ハワイ王国の国土75%(四分の三)を白人(欧米人)が保有してしまった。

何故なら、当時のハワイアンは土地を所有するという考え方が無かった為、

タダ同然で白人(欧米人)達に占領されていってしまった。

しかも、

白人(欧米人)の持ち込んだ淋病・天然痘などに免疫のなかったハワイアンは、

人口が30万人から5万人に激減するという危機に瀕していた。

 

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カラカウア国王 David Kalākaua (画像:Wukiprdia より)

 

そこで、第7代カラカウア国王(在位:1874年 – 1891年)は、

密かに考えていた日本と同盟を結んで、アジア・太平洋地域に「同種族」の連合を

作り上げて白人(欧米人)の外来勢力の拡大を阻止して独立しようとしていた。

 

1881年3月、カラカウア国王は密かに赤坂離宮を訪れ、明治天皇との会見を乞うた。

※突然のカラカウア国王の訪問に、快く受け入れ明治天皇も素晴らしい。

 

そして、

明治天皇に現状のハワイ王国が白人(欧米人)間に生じるやっかいな事態を、

説明し日本へ下記3項目の協力を仰いだ。

1.ハワイアンの人口減少を同一種族である日本人で補うため 日本人移民の実現。

2. 王位を継がせる姪のカイウラニ王女と日本皇族の山階宮定麿親王との婚約申入れ。

3. ハワイと日本の友好によって、将来の太平洋の発展に寄与したい。

 

明治天皇からの回答は・・・。

1. 日本人移民の実現。

・1885年には官約移民が実現した・・・946名がハワイへ渡った。

官約移民=政府の斡旋した移民。

・1894年は民間に委託され、約29,000人がハワイへ渡った

※1860年、カメハメハ4世時代にも移民の要請はあったが、明治維新の混迷期のため

対応されず。

※カメハメハ5世時代にも要請があったがハワイ王国が条約未済国のため許可されず。

 

2. 王位を継がせる姪のカイウラニ王女と日本皇族の山階宮定麿親王との婚約申入れ。

・明治天皇は婚姻の議は謝絶した。

謝絶の理由。

・日本の皇室にはそのような前例が無い。

・米国の勢力圏に立ち入るのを好ましく無い。

この時、日本は既に「ハワイ王国は米国の勢力の元にある。」と認識していた様だ。

 

今回のカラカウア国王の行動について御冠(おかんむり)の米人勢力は、

1887年に新憲法を起草し、圧力でカラカウア国王に承認の署名をさせた。

新憲法は「銃剣憲法」と呼ばれた。

 

きっと米人勢力はカラカウア国王に、

「おまえ!勝手な事やってんじゃねーよ!」

「日本に行って何を言ってんだよ、有色人種はお前らだけで十分だよ!」

「国王なんて名ばかりで飾りなんだよ!抹殺するぞ!」何て言ったんだろうな?

 

その「銃剣憲法」内容は、

・国王の政治的行為は、全て米人議会の承認を必要とする。

・議会選挙は、土地を所有する者だけが有権者の条件がある。

よって、多くのハワイアンは選挙から排除された、日本人移民なんか問題外。

そりゃあそうだ、ハワイの75%の土地を白人が所有しているんだから。

 

そして、カラカウア国王はアルコール依存症によって体調を崩し死亡した。

 

カラカウア王の後を継いで、実妹のリリウオカラニ女王が即位した。

女王はハワイアンにも選挙権を与える新憲法の発布をしようとしたが、

米国白人側はこれを機に一気に王制打倒に動き出した。

「血に飢えた、そして淫乱な女王が恐怖の専制王権を復活させようとしている」

と訴え、海兵隊員160名を上陸させ政府庁舎や宮殿近くを制圧した。

女王は流血を避けるために王権を放棄した。

 

そして、ハワイ政府庁舎に星条旗が掲揚された。

「ハワイの実(西洋梨)は完熟し、今こそアメリカがそれをもぎ取るのに、

黄金の時が訪れている。」とフォスター国務長官にハワイ併合を訴えた。

 

1893年、米国の革命によりハワイ王国が消滅しハワイ共和国となる。

1898年にはハワイ準州としてアメリカ合衆国に併合された。

 

 

『ハワイのカラカウア国王が、わざわざ日本に来てハワイアンの人口減少を、

同一種族である日本人で補うため 日本人移民を明治天皇に嘆願した訳だ。』

それなのに・・・日本人移民の待遇は過酷で実態は人身売買に類似していた。

それもこれも、ハワイ王国の国土75%を所有する米国白人の・・・。

 

 

もし、カラカウア国王の姪カイウラニ王女と日本の皇族が結婚していたら、

日本とハワイの関係はどの様な感じになっていたのだろうか?

 

「おおよその事は分かったと思う、明日は『まとめ』を書くつもり。」

 

MAHALO.

 

 

 

 

ハワイに日本人移民が多い訳②・・・

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ALOHA.

 

「最高気温10度。こんな寒いのに頻繁に行方不明者のアナウンスが流れる。」

 

3日に1回位の頻度で、町内の防災放送で行方不明者の放送が流れる。

「こちらは防災藤沢です。行方不明者のお知らせをします。今朝7時頃・・・。」

 

最近の湘南は・・・朝の気温0度、昼の気温10度程度。

行方不明になっている老人達の安否が気になってしょうがない。

窓の外に老人が一人で歩いている姿を見ると、

「あの老人は散歩してるの?それとも徘徊してるの?どっち?」ってなってしまう。

 

「他人事では無い、明日は我が身だ。気を付けなくてはいけないな。」

 

 

 

 

昨日の「何故にハワイには日本からの移民が多いのか?」の続き。

 

色々調べていると、日本の「明治」や「昭和」等の和歴って非常に面倒だ。

明治から平成まではある程度理解できるが、明治以前の和歴が訳分からない。

特に、文政年間や天保年間そして万延年間等1800年代が複雑すぎる。

坂本龍馬・西郷隆盛・伊藤博文等日本にとっては重要な時代なのだが・・・。

「西暦に統一しろ!」って言いたくなってくる。

 

 

昨日書いた、

1841年に日本人で最初にハワイに行ったジョン万次郎他4名の事を。

では・・・。

「皆さん、日本に最初に来たハワイアンは誰か知っていますか?」

 

実は、日本に最初に来たハワイアンが「日本人の移民」に大きく関わっている。

その人の名は・・・「カラカウア国王」

【正式の名前】

David La‘amea Kamanakapu‘u Mahinulani Nalaiaehuokalani Lumialani Kalākaua

※もう既に氏名に David って英語名が付いている。

 

1881年にハワイ王国のデイヴィッド・カラカウア国王が、世界一周の旅行途中に、

日本の横浜港に立寄っている。

※デイヴィッド・カラカウア国王は第七代国王(在位1874年~1891年)。

実は、日本にとっても史上初めて日本を訪れた外国の国家元首でもある。

1881年と言うと和歴では明治14年。

この頃は日本の地方でやっと靴を履く人が出て来た時代。

 

日本の海軍軍楽隊はハワイの国歌「ハワイ・ボノイ」を演奏して出迎えた。

1881年の日本海軍もハワイに関して、ちゃんと調査していた事に驚いた。

※「ハワイ・ボノイ Hawaiʻi ponoʻī 」は、かつてのハワイ王国の国歌であり。

現在の米国ハワイ州の州歌でもある。

この曲の作詞をしたのがカラカウア王である。

カラカウア王は日本側のもてなしと、異国の地で自身が作詞した国歌を聴かされ、

感動して涙を流したと言われている。

 

日本に到着後、

特別列車で横浜駅から新橋駅に着き、当時の皇居であった赤坂離宮に向かった。

横浜港も鉄道も日本人だけで運営されていた事に、

国王は「どこにもハオレを見なかった。」事に強い感銘を受けた様だ。

※「ハオレ haole」はハワイ語で「白人」、「先祖をもたない白人」。

 

重要なのは、カラカウア国王が言った「どこにもハオレ(白人)を見なかった。」

 

次回は、

「ハワイに日本人移民が多い訳③・・・」は2月29日月曜日に更新します。

「カラカウア国王は何の為に日本に立寄ったのか?」

そして「国王が言った『どこにもハオレ(白人)を見なかった。』の意味は。」

 

 

 

【付録】

ハワイ王国の歴代の国王を、一度お浚い(おさらい)をしてみよう。

 

・初代 カメハメハ1世(在位:1795年 – 1819年)初代国王、ハワイ諸島統一。

※「カ・メハメハ」はハワイ語で「孤独な人」「静かな人」の意味。

・第2代 カメハメハ2世(在位:1819年 – 1824年)1世の子供、単なるお飾り。

・第3代 カメハメハ3世(在位:1825年 – 1854年)2世の死を受けて即位。

※個人的には、この3世が最悪、ハワイの伝統的信仰を廃止したヤツ(フラ廃止)。

・第4代 カメハメハ4世(在位:1854年 – 1863年)カメハメハ1世の孫。

・第5代 カメハメハ5世(在位:1863年 – 1872年)1世の娘キナウの長男。

※カメハメハ王国支配はカメハメハ5世で終焉。

・第6代 ルナリロ(在位:1873年 – 1874年)初めて選挙によって選ばれる。

・第7代 カラカウア(在位:1874年 – 1891年)本来のハワイに戻そうとした。

・第8代 リリウオカラニ(在位:1891年 – 1893年)女王・ハワイ王国最後の国王。

 

1893年の革命によりハワイ王国が消滅しハワイ共和国となる。

1898年にはハワイ準州としてアメリカ合衆国に併合された。

1959年8月21日アメリカ合衆国50州の中で最後に加盟したハワイ州となる。

 

個人的には、

「カメハメハ3世がハワイをぶっ壊し、カラカウアがハワイを立直そうとした。」

しかし・・・それは叶わなかった・・・原因は白人(欧州人)・・・。

 

MAHALO.