ハワイに日本人移民が多い訳②・・・

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ALOHA.

 

「最高気温10度。こんな寒いのに頻繁に行方不明者のアナウンスが流れる。」

 

3日に1回位の頻度で、町内の防災放送で行方不明者の放送が流れる。

「こちらは防災藤沢です。行方不明者のお知らせをします。今朝7時頃・・・。」

 

最近の湘南は・・・朝の気温0度、昼の気温10度程度。

行方不明になっている老人達の安否が気になってしょうがない。

窓の外に老人が一人で歩いている姿を見ると、

「あの老人は散歩してるの?それとも徘徊してるの?どっち?」ってなってしまう。

 

「他人事では無い、明日は我が身だ。気を付けなくてはいけないな。」

 

 

 

 

昨日の「何故にハワイには日本からの移民が多いのか?」の続き。

 

色々調べていると、日本の「明治」や「昭和」等の和歴って非常に面倒だ。

明治から平成まではある程度理解できるが、明治以前の和歴が訳分からない。

特に、文政年間や天保年間そして万延年間等1800年代が複雑すぎる。

坂本龍馬・西郷隆盛・伊藤博文等日本にとっては重要な時代なのだが・・・。

「西暦に統一しろ!」って言いたくなってくる。

 

 

昨日書いた、

1841年に日本人で最初にハワイに行ったジョン万次郎他4名の事を。

では・・・。

「皆さん、日本に最初に来たハワイアンは誰か知っていますか?」

 

実は、日本に最初に来たハワイアンが「日本人の移民」に大きく関わっている。

その人の名は・・・「カラカウア国王」

【正式の名前】

David La‘amea Kamanakapu‘u Mahinulani Nalaiaehuokalani Lumialani Kalākaua

※もう既に氏名に David って英語名が付いている。

 

1881年にハワイ王国のデイヴィッド・カラカウア国王が、世界一周の旅行途中に、

日本の横浜港に立寄っている。

※デイヴィッド・カラカウア国王は第七代国王(在位1874年~1891年)。

実は、日本にとっても史上初めて日本を訪れた外国の国家元首でもある。

1881年と言うと和歴では明治14年。

この頃は日本の地方でやっと靴を履く人が出て来た時代。

 

日本の海軍軍楽隊はハワイの国歌「ハワイ・ボノイ」を演奏して出迎えた。

1881年の日本海軍もハワイに関して、ちゃんと調査していた事に驚いた。

※「ハワイ・ボノイ Hawaiʻi ponoʻī 」は、かつてのハワイ王国の国歌であり。

現在の米国ハワイ州の州歌でもある。

この曲の作詞をしたのがカラカウア王である。

カラカウア王は日本側のもてなしと、異国の地で自身が作詞した国歌を聴かされ、

感動して涙を流したと言われている。

 

日本に到着後、

特別列車で横浜駅から新橋駅に着き、当時の皇居であった赤坂離宮に向かった。

横浜港も鉄道も日本人だけで運営されていた事に、

国王は「どこにもハオレを見なかった。」事に強い感銘を受けた様だ。

※「ハオレ haole」はハワイ語で「白人」、「先祖をもたない白人」。

 

重要なのは、カラカウア国王が言った「どこにもハオレ(白人)を見なかった。」

 

次回は、

「ハワイに日本人移民が多い訳③・・・」は2月29日月曜日に更新します。

「カラカウア国王は何の為に日本に立寄ったのか?」

そして「国王が言った『どこにもハオレ(白人)を見なかった。』の意味は。」

 

 

 

【付録】

ハワイ王国の歴代の国王を、一度お浚い(おさらい)をしてみよう。

 

・初代 カメハメハ1世(在位:1795年 – 1819年)初代国王、ハワイ諸島統一。

※「カ・メハメハ」はハワイ語で「孤独な人」「静かな人」の意味。

・第2代 カメハメハ2世(在位:1819年 – 1824年)1世の子供、単なるお飾り。

・第3代 カメハメハ3世(在位:1825年 – 1854年)2世の死を受けて即位。

※個人的には、この3世が最悪、ハワイの伝統的信仰を廃止したヤツ(フラ廃止)。

・第4代 カメハメハ4世(在位:1854年 – 1863年)カメハメハ1世の孫。

・第5代 カメハメハ5世(在位:1863年 – 1872年)1世の娘キナウの長男。

※カメハメハ王国支配はカメハメハ5世で終焉。

・第6代 ルナリロ(在位:1873年 – 1874年)初めて選挙によって選ばれる。

・第7代 カラカウア(在位:1874年 – 1891年)本来のハワイに戻そうとした。

・第8代 リリウオカラニ(在位:1891年 – 1893年)女王・ハワイ王国最後の国王。

 

1893年の革命によりハワイ王国が消滅しハワイ共和国となる。

1898年にはハワイ準州としてアメリカ合衆国に併合された。

1959年8月21日アメリカ合衆国50州の中で最後に加盟したハワイ州となる。

 

個人的には、

「カメハメハ3世がハワイをぶっ壊し、カラカウアがハワイを立直そうとした。」

しかし・・・それは叶わなかった・・・原因は白人(欧州人)・・・。

 

MAHALO.

 

 

 

 

ハワイに日本人移民が多い訳①・・・

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ALOHA.

 

「昨夜11時頃、チラチラと雪が降った。寒い筈だよなーっつ!」

 

今朝は相変わらずの冬晴れで気温5度。

いつまで続くんだろう?この寒さは・・・「冬は要らないな。」と痛切に思う。

 

 

 

話は360度変わるが・・・360度じゃあ元に戻るから350度位にしとくかな。

 

唐突だけど・・・。

「何故にハワイには日本からの移民が多いのか?」を考えてみた。

 

一般的な認識では・・・。

昔々の日本に仕事が無かった。

日本の行政が「ハワイには仕事が沢山あるから行ってみなよ。」と公募した。

「日本に居ても仕事は無いべ、じゃあ新天地ハワイでガンバンべーよ!」

って感じで日本人はハワイへ移住して行った・・・と認識している。

 

「本当にそれだけだろうか?移住した理由はその通りだと思うが、他にも・・・。」

小さな脳ミソで色々考えてみた。

「白人(欧州人)がハワイへ大挙して押し寄せた事が原因じゃあないだろうか?」

 

 

「昔々の大昔、太平洋に浮かぶ島々には白人(欧米人)は居なかった、日本含む。」

 

先ずは、日本とハワイの民族のルーツを調べてみた。

(日本とハワイ以外の島々の民族のルーツは面倒だし興味無いので調べない。)

 

先ずは日本から。

日本人のルーツは、様々な説があるが「縄文人」が日本に最初に定住した説が有力。

後に、モンゴロイド系の「弥生人」が移り住み始めたとの事。

よって、日本に2400年前にやって来た最初の外国人が「弥生人」って事になる。

 

ハワイはご存知の通り、

マルキーズ諸島から小さな船に乗ってやって来たのがハワイの先住民とされている。

そう、ポリネシア人がハワイアンのルーツとなる。

そして、ハワイに最初に来た外国人は、キャプテン・クックが1778年に来航した。

※要注意:キャプテン・クックは通称で、正式な名前はジェームズ・クック。

※名前は似ていても、あの料理サイトのクック・パットとは全く無関係らしい。

 

では、白人(欧米人)は日本とハワイに何時やって来たのか?

 

・日本に最初に来た白人(欧米人)は、1549年にフランシスコ・ザビエル。

フランシスコ・ザビエルはスペイン人でバスク民族。カトリック教会の宣教師

・ハワイには、1778年にキャプテン・クックがやって来た。

キャプテン・クックはイギリス人で海軍士官であり、海図製作者でもある。

しかし、来航の翌年(1779年)にハワイの先住民との争いによって命を落とした。

 

「この二人が切っ掛けに、太平洋の島々に白人が雪崩込んで来た訳だな。」

欧米人によって、太平洋の島々の領土や資源等々の分捕り合戦が始まる。

 

次は、日本とハワイの関係について。

 

先ずは、忘れてはならない日本人が居る・・・その名は「ジョン万次郎」。

ジョン万次郎こと、本名中濱満次郎。

ジョン万次郎は1839年に日本人で最初にハワイへ行った人。

※Wikipesia には1841年と記してあるが、恐らく間違いで1839年だと思う。

日本人で米国に最初に行った人でもある。

※検索サイトで「ジョン万次郎」を検索すると「居酒屋ジョン万次郎」があるが、

決して、ジョン万次郎は居酒屋の店長だった訳じゃあ無いので誤解しない様に。

 

ジョン万次郎は4人の漁師仲間と鰹漁に出ていて嵐に合い漂流していたところを、

アメリカの捕鯨船に救助されたが、日本は鎖国状態の為に日本へ寄る事が出来ない。

しょうがないから、捕鯨船はジョン万次郎達を寄港先のハワイに降ろした様だ。

この時、ジョン万次郎は14歳。

万次郎は「ハワイで1年暮らした。」と「英語を学びたく捕鯨船に着いて行った。」

の説があるが、どちらにしても万次郎はアメリカ本土で10年暮らした。

万次郎はアメリカ本土へ向かったが、残りの4人はハワイに降立ち暮らした。

 

おっさんは、ジョン万次郎がハワイ(オアフ島)を見た時の一声を想像してみた。

恐らく、14歳の万次郎はこう言ったと思う。

「暖かいな!パパイヤが美味しそうだな!フラでも習ちゃおうかな!ワクワク。」

 

アメリカに住んだ初の日本人万次郎は、ボストン近くのフェアヘブンで暮らした。

ハワイに残った4人の内1人、寅右衛門はハワイアンの女生と結婚した様だ。

 

この寅右衛門さんの方が、万次郎よりフィーチャーされないと不味いんじゃ無い?

「ところで、寅右衛さんの子孫に非常に興味ある。」

 

また、寅右衛門を除く3人の内の1人、重助はハワイで亡くなっていた。

重助の墓はカネオヘに残っている様だ。

重助の墓石には・・・。

IN MEMORY OF JUSUKE 1816‐1841 FIRST JAPANESE DECEDANT TO DIE IN HAWAII

と刻まれている。

ハワイに降立って4年余りハワイで生活をした事になる。

 

残りの2人はアメリカ本土に居た万次郎がハワイに寄り一緒に日本へ帰国した。

 

「疲れて来たので・・・続きは明日。結論まで2日掛かりそうだな」

 

MAHALO.