寒い!寒い!寒いよーーっ・・・

Hanarei, Kauai Island.

 

ALOHA.

 

「ブルブル震えるくらい凄く寒かった!ストーブを点けたくても灯油がゼロだ!」

 

冷たい雨と北風で最高気温はたったの15度。

5月になってこの寒さは10年振りだってさ。(NHKの天気予報が言ってた)

「木曜日までは寒いらしいよ、最高気温15度くらいだって風邪引かないように。」

 

「今日、沖縄は早くも梅雨入り。」

マウイ旅行まで後1週間くらい・・・暖かい処で冷たいビールを浴び捲るぞ!

 

 

MAHALO.

 

 

 

 

 

ハワイに日本人移民が多い訳①・・・

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ALOHA.

 

「昨夜11時頃、チラチラと雪が降った。寒い筈だよなーっつ!」

 

今朝は相変わらずの冬晴れで気温5度。

いつまで続くんだろう?この寒さは・・・「冬は要らないな。」と痛切に思う。

 

 

 

話は360度変わるが・・・360度じゃあ元に戻るから350度位にしとくかな。

 

唐突だけど・・・。

「何故にハワイには日本からの移民が多いのか?」を考えてみた。

 

一般的な認識では・・・。

昔々の日本に仕事が無かった。

日本の行政が「ハワイには仕事が沢山あるから行ってみなよ。」と公募した。

「日本に居ても仕事は無いべ、じゃあ新天地ハワイでガンバンべーよ!」

って感じで日本人はハワイへ移住して行った・・・と認識している。

 

「本当にそれだけだろうか?移住した理由はその通りだと思うが、他にも・・・。」

小さな脳ミソで色々考えてみた。

「白人(欧州人)がハワイへ大挙して押し寄せた事が原因じゃあないだろうか?」

 

 

「昔々の大昔、太平洋に浮かぶ島々には白人(欧米人)は居なかった、日本含む。」

 

先ずは、日本とハワイの民族のルーツを調べてみた。

(日本とハワイ以外の島々の民族のルーツは面倒だし興味無いので調べない。)

 

先ずは日本から。

日本人のルーツは、様々な説があるが「縄文人」が日本に最初に定住した説が有力。

後に、モンゴロイド系の「弥生人」が移り住み始めたとの事。

よって、日本に2400年前にやって来た最初の外国人が「弥生人」って事になる。

 

ハワイはご存知の通り、

マルキーズ諸島から小さな船に乗ってやって来たのがハワイの先住民とされている。

そう、ポリネシア人がハワイアンのルーツとなる。

そして、ハワイに最初に来た外国人は、キャプテン・クックが1778年に来航した。

※要注意:キャプテン・クックは通称で、正式な名前はジェームズ・クック。

※名前は似ていても、あの料理サイトのクック・パットとは全く無関係らしい。

 

では、白人(欧米人)は日本とハワイに何時やって来たのか?

 

・日本に最初に来た白人(欧米人)は、1549年にフランシスコ・ザビエル。

フランシスコ・ザビエルはスペイン人でバスク民族。カトリック教会の宣教師

・ハワイには、1778年にキャプテン・クックがやって来た。

キャプテン・クックはイギリス人で海軍士官であり、海図製作者でもある。

しかし、来航の翌年(1779年)にハワイの先住民との争いによって命を落とした。

 

「この二人が切っ掛けに、太平洋の島々に白人が雪崩込んで来た訳だな。」

欧米人によって、太平洋の島々の領土や資源等々の分捕り合戦が始まる。

 

次は、日本とハワイの関係について。

 

先ずは、忘れてはならない日本人が居る・・・その名は「ジョン万次郎」。

ジョン万次郎こと、本名中濱満次郎。

ジョン万次郎は1839年に日本人で最初にハワイへ行った人。

※Wikipesia には1841年と記してあるが、恐らく間違いで1839年だと思う。

日本人で米国に最初に行った人でもある。

※検索サイトで「ジョン万次郎」を検索すると「居酒屋ジョン万次郎」があるが、

決して、ジョン万次郎は居酒屋の店長だった訳じゃあ無いので誤解しない様に。

 

ジョン万次郎は4人の漁師仲間と鰹漁に出ていて嵐に合い漂流していたところを、

アメリカの捕鯨船に救助されたが、日本は鎖国状態の為に日本へ寄る事が出来ない。

しょうがないから、捕鯨船はジョン万次郎達を寄港先のハワイに降ろした様だ。

この時、ジョン万次郎は14歳。

万次郎は「ハワイで1年暮らした。」と「英語を学びたく捕鯨船に着いて行った。」

の説があるが、どちらにしても万次郎はアメリカ本土で10年暮らした。

万次郎はアメリカ本土へ向かったが、残りの4人はハワイに降立ち暮らした。

 

おっさんは、ジョン万次郎がハワイ(オアフ島)を見た時の一声を想像してみた。

恐らく、14歳の万次郎はこう言ったと思う。

「暖かいな!パパイヤが美味しそうだな!フラでも習ちゃおうかな!ワクワク。」

 

アメリカに住んだ初の日本人万次郎は、ボストン近くのフェアヘブンで暮らした。

ハワイに残った4人の内1人、寅右衛門はハワイアンの女生と結婚した様だ。

 

この寅右衛門さんの方が、万次郎よりフィーチャーされないと不味いんじゃ無い?

「ところで、寅右衛さんの子孫に非常に興味ある。」

 

また、寅右衛門を除く3人の内の1人、重助はハワイで亡くなっていた。

重助の墓はカネオヘに残っている様だ。

重助の墓石には・・・。

IN MEMORY OF JUSUKE 1816‐1841 FIRST JAPANESE DECEDANT TO DIE IN HAWAII

と刻まれている。

ハワイに降立って4年余りハワイで生活をした事になる。

 

残りの2人はアメリカ本土に居た万次郎がハワイに寄り一緒に日本へ帰国した。

 

「疲れて来たので・・・続きは明日。結論まで2日掛かりそうだな」

 

MAHALO.

 

 

 

 

1940’s Japan ・・・

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ALOHA.

 

「寒い!スゲー寒い・・・今夜は雪が降るかも?だってさ。」

 

明日の最低気温が0度・・・まだ0度って数字かよ!

昨年は「暖冬ですね。」って騒いでいたのに、

今年になったら「例年より寒い冬ですね。」なんてTVで言いやがる天気予報士。

「自然が相手だから・・・うーん・・・予報が難しいです。」だってさ。

「楽で雑な商売だなーっつ。」と最近痛切に思う。

 

 

 

YouTubeで興味深い動画を発見した。

 

1940年後半の日本。

非常に画質が高い動画だと思う、そして明るいしブレてい無い。

ひょとすると・・・これは映画の一部じゃあないのかな?

動画を細かくチェックしてみると・・・この場所は東京だと思う。

 

きっと動画に出て来る、おんぶされてる赤ちゃんが団塊の世代だろうな。

 

「戦後の日本人はガンガン前に向かって歩いています。」

誰一人として、立ち止まっている人はいないな。

今よりはるかに服装も凛としてるし、何より歩き方が颯爽(さっそう)としてる。

戦前戦中に教育を受けているので背筋がピンとして凛々しい。

 

「おっと、ハットとチェスターコートを着こなしている。

現代のユニクロのゴキブリファッションより断然に格好良い。」

 

単なるおっさんおの考えだけど・・・若干偏っているかもしれないが。

世界各地で、人種・民族・宗教・宗派の違いによる暴動、紛争が起きている。

日本が平和なのは、一文化・一文明・一民族・一言語の単一民族国家だからと思う。

日本の平和を維持するには、単一民族国家を維持する事だと思う。

 

「この動画に映っている人達が、今の日本を作ってくれたんだ。感謝!感謝!」

 

MAHALO.