きじひき高原・・・

Lahaina, Maui Island.

 

ALOHA.

 

「函館ではホテルでレンタカーを借りて『きじひき高原』へ行ったがガスってた。」

 

キタキツネを見たくて大沼周辺をウロウロするためにレンタカーを借りたけど、

「めったに見る事は出来ないよ。それより『きじひき高原』に行ってみたら。」

とホテルの送迎バスの運転手さんにアドバイスを頂いた。

「地元に人がお勧めするんだから・・・じゃあ行ってみるか!」

 

きじひき高原の展望台から津軽海峡・函館山・大沼・駒ヶ岳等を一望出来る。

「きじひき(木地挽き)」の名の由来は、

春先に木を切り出した際に雪解け水と共に丸太を滑り落とした事から付いた様だ。

 

行ってみたけど・・・残ー念ー!ガスって何も見えません!

駒ヶ岳がちょこんと見えたけど。

「5月と6月は朝晩ガスが発生し易いらしい、でも?これって雲海じゃあ無いよな。」

 

 

展望台に「太平三十三観音」ってのがあった。

 

1966年に安置されたものだそうで・・・由来は案内板に書いてあったが。

面倒なので全部読まなかったが、

農作業中の婦人達が「自分達の力で町営牧場に観音様を設置したい」と言い出した。

話が次第に広まっていって賛同者と円通寺の住職も加わり三十三の観音となった。

って感じかな。

 

 

そう言えば・・・きじひき高原へ向かう途中にメロディーロードってのがあった。

「上りは『いいもんだな故郷は』下りは『赤とんぼ』・・・何度も往復したよ。」

 

こんな感じ・・・YouTubeで見つけたので貼り付けとく。

微かに聞こえるでしょう?!

 

 

MAHALO.

 

 

 

 

 

 

青函連絡船で大惨事があったとは・・・

Manini’owali Beach (Kua Bay), Big Island.

 

ALOHA.

 

「前にも書いた高校卒業旅行で青森から函館へ行くために乗った青函連絡船。」

 

青函連絡船の運営は鉄道省 → 国鉄 → JR北海道と受け継がれて来た。

1988年(昭和63年)9月で廃止になった青函連絡船。

※1908年(明治41年)に比羅夫丸と田村丸が運航開始。

 

今回の函館旅行で「函館市青函連絡船記念館」を見学して来た。

函館朝市のすぐ横にあって「摩周丸」が目印。

摩周丸は1988年(昭和63)3月13日の青函連絡船最後の日まで運航していた様だ。

 

函館港の岸壁に係留されていて船内へ入る事が出来る。(勿論入館料が必要)

 

煙突にJNRのロゴ・・・日本国有鉄道 Japanese National Railways の略でJNR 。

 

操舵室から見える函館山。

 

昔はここ甲板から紙テープを投げてお別れをした。

(おっさん達が乗った時もやってた記憶がある)

 

操舵室から函館山を見る。

操舵室の裏には無線通信室があった。

 

青函連絡船の歴史・船の仕組み等が模型をふんだんに使って説明されている。

 

「結構、内容が充実していて入場料を払ってまで見る価値あり。」

 

 

「ここで驚いた事実をしった!全く知らなかった事だった。」

1954年(昭和29)の台風15号の予測をこす猛威を受け洞爺丸と貨物船4隻と共に、

沈没してしまったのだ。(函館湾七重浜沖600mに沈没した)

死者・行方不明者あわせて1,155人と日本海難史上最大の惨事となってしまった。

(旅客1,041名・乗組員73名・その他41名が死亡した)

 

「この台風15号を『洞爺丸台風』命名された・・・最大風速63.3m/sとは。」

当時は台風の進路予測が現代等発達しておらず天候状況を読み間違えた様だ。

 

 

MAHALO.