そろそろ安部もシャットダウンかな・・・

Kalapana, Big Island.

 

ALOHA.

 

「韓国が新型コロナの感染者が多いのはちゃんと感染検査してるからだと思うよ。」

 

韓国の感染者数が1,595人・死亡者12人になったと発表があった。

「韓国の感染者多いなーあ!」と思うけど・・・検査した人が多いからでしょう?

日本は検査した人が少ないから感染者が150人程度で済んでいる。

検査する施設が少なく検査条件も非常に厳しいので必然的に感染者数は少なくなる。

体調が悪い人が全て検査したら驚く程の感染者数になるかも?

「今回の新型コロナに関しては日本より韓国の方が真剣に取組んでる感じだ!」

 

 

誰もが覚えていると思うけど・・・。

「菅元首相は東日本大震災時にヘマをやって首相を降ろされ今回は安部の番だな。」

安部の新型コロナの対応が菅元首相の東日本大震災時の対応にそっくりだ。

 

感染者や死亡者が増えオリンピックが中止になったら安部は完全にシャットダウン。

 

 

連日、新型コロナの報道の中で芸能人の不倫や薬物所持等どうでも良い事件も多い。

「大規模イベント中止・縮小でギャーギャー騒ぐヤツがいる!自己責任でやれば?」

 

 

MAHALO.

 

 

 

 

 

 

 

 

北朝鮮・・・

ALOHA.

 

「今日の朝も氷点下1度、昼間は昨日より気持ち暖かかった。ほんの気持ちね。」

 

明日から暫くは氷点下の気温にはならない様だけど・・・「やっぱり寒いみたい。」

今年はやけに寒く感じるのだけど・・・やっぱり歳のせい?

 

 

 

 

「6年前の話だが・・・全く話題にもならなかったけど。」

 

日本人であれば誰でも知っている、

2011年3月11日に日本で東日本大震災が発生した。

地震発生後の24日に北朝鮮政府が50万ドルを日本に支援してくれていた事を知った。

※金正日(キム・ジョンイル)中央委員会総書記時代。

また、北朝鮮赤十字は政府とは別に10万ドルを日本に送った様だ。

 

但し、日本に住む北朝鮮人への支援のためだけど・・・ね。

日本人には1円たりとも回ってい無いんだって。

日本や日本人には一切関係無いと言えば無いけど。

 

【参考した記事】TIME

North Korea’s $500,000 Donation to Japan: Why That’s a Big Chunk of Change

http://newsfeed.time.com/2011/03/24/why-north-korea-could-only-afford-to-give-500000-to-japan/

 

50万ドル(6,000万円位?)だけど、北朝鮮からみると大金だろう。

自国では多くの人々が餓死しているのに。

「自国の貧しい人々に支援すれば良いのに!と思ってしまうおっさんですが。」

 

「何が言いたいか?と言うと北朝鮮も『支援や援助』等をするんだな?」って事。

 

「支援の行先は色々あるけど、この様な話って日本では一切取り上げない。」

まあ、拉致問題があるからね・・・。

 

「豊富な天然資源が有る程、国家が貧しくなる傾向がある・・・正しく北朝鮮。」

 

MAHALO.

 

 

 

 

東日本大震災から5年・・・

3701-5

ALOHA.

 

「手が冷たくて痛くなるような寒さだった、最高気温6度まだ冬が続いていた様だ。」

 

昨夜は短時間ではあったが、雪の様なモノが降っていた。

二十四節気と現実の気候とは大きな隔たりがあるな?と感じた一日だった。

 

 

「今日は3月11日、東日本大震災から5年も経った。」

 

実は、3月11日は彼女の誕生日でもある。

震災以降「今日は私の誕生日。」と大きな声で言えなくなった様だ。

「可哀想っちゃ可哀想だが、誕生日が来て喜ぶ歳でもなかろう。うっふ。」

 

しかも、5年前の11日には震災を経験していないのだ。

丁度、中国出張中で12日に帰国予定だった。

11日に中国事務所のスタッフが、

「〇〇さん!今、日本は凄い事になってるアルよ。」と教えてくれた様だ。

 

湘南は震度5強だった「あの狂った様な揺れを経験していないなって幸せだよ。」

おっさんは揺れで気持ちが悪くなった。

 

「おっさんが生きている間に、二度と大きな地震が無い事を祈る。」

 

 

【日本語版】

天皇陛下のおことば

東日本大震災5周年追悼式・平成28年3月11日(金)国立劇場

※宮内庁のサイトより抜粋(難しい感じはルビをふりました)

 

東日本大震災から5年経ちました。

ここに一同と共に、震災によって亡くなった人々とその遺族に対し、深く哀悼の意を

表します。

5年前の今日、東日本を襲った巨大地震とそれに伴う津波により、2万人を超す死者、

行方不明者が生じました。仙台平野を黒い壁のような波が非常な速さで押し寄せてく

るテレビの映像は、決して忘れることができないものでした。このような津波に対し

てどのような避難の道が確保できるのか暗澹(あんたん)たる気持ちになったことが

思い起こされます。

また、何人もの漁業者が、船を守るために沖に向け出航していく雄々しい姿も深く心

に残っています。

このような中で、自衛隊、警察、消防、海上保安庁を始めとする国や地方自治体関係

者、さらには、一般市民が、厳しい状況の中で自らの危険や労をいとわず救助や捜索

活動に携わったことに深い感謝の念を抱いています。

地震,津波に続き、原子力発電所の事故が発生し、放射能汚染のため,多くの人々が

避難生活を余儀なくされました。事態の改善のために努力が続けられていますが、

なお、自らの家に帰還できないでいる人々を思うと心が痛みます。

こうした苦難の中で、政府や全国の地方自治体と一緒になって、多数のボランティア

が被災者のために支援活動を行いました。また、160を超える国・地域や多数の国際機

関、また在日米軍が多大な支援に当たってくれたことも忘れることはできません。

あれから5年、皆が協力して幾多の困難を乗り越え、復興に向けて努力を続けてきまし

た。この結果、防災施設の整備、安全な居住地域の造成、産業の再建など進展が見ら

れました。しかし、被災地で、また避難先で、今日もなお多くの人が苦難の生活を続

けています。特に、年々高齢化していく被災者を始めとし、私どもの関心の届かぬ所

で、いまだ人知れず苦しんでいる人も多くいるのではないかと心に掛かります。

困難の中にいる人々一人ひとりが取り残されることなく、1日も早く普通の生活を取り

戻すことができるよう、これからも国民が心を一つにして寄り添っていくことが大切

と思います。

日本は美しい自然に恵まれていますが、その自然は時に非常に危険な一面を見せるこ

ともあります。この度の大震災の大きな犠牲の下で学んだ教訓をいかし、国民皆が防

災の心を培うとともに、それを次の世代に引き継ぎ、より安全な国土が築かれていく

ことを衷心より希望しています。

今なお不自由な生活の中で、たゆみない努力を続けている人々に思いを寄せ、被災地

に1日も早く安らかな日々の戻ることを一同と共に願い、御霊(みたま)への追悼の言

葉といたします。

 

【英語版】

Addresses by His Majesty the Emperor.

Address by His Majesty the Emperor on the Occasion of the Memorial Service to

Commemorate the Fifth Anniversary of the Great East Japan Earthquake

(March 11, 2016)

 

Five years have passed since the Great East Japan Earthquake.

Together with the people gathered here today, I would like to express my deepest

condolences to those who lost their lives in the disaster and their bereaved families.

Five years ago today, eastern Japan was struck by a huge earthquake and tsunami,

which left more than twenty thousand people dead or missing.

I can never forget the image I saw on television that day of the black wall-like tsunami

rushing over the Sendai Plain at tremendous speed.

I remember the sense of despair I felt as I wondered how it was possible to evacuate

people in the face of such a tsunami.

The image of many fishermen bravely heading out to sea in order to safeguard their

vessels is also etched deeply in my mind.

Our deepest gratitude goes out to the members of the Self-Defense Forces, the police,

the fire department, the Japan Coast Guard, and those in central and local

governments, as well as private citizens, who devoted themselves to search and rescue

operations under harsh conditions without regard for their own safety or pain.

The nuclear power plant accident, which followed the earthquake and tsunami, has

forced many people to leave the places they used to live because of radioactive

contamination.

Efforts are being made to improve the situation, but my heart aches to think of the

people who are even now unable to go back to their own homes.

In the midst of this calamity, numerous volunteers engaged in support activities,

together with the central government and local governments throughout the country, to

help the afflicted people.

Also unforgettable is the enormous assistance extended to us by more than one

hundred and sixty countries and regions, many international organizations, and the US

forces stationed in Japan.

In the five years since then, people have worked together to overcome numerous

difficulties and made great efforts toward reconstruction. As a result, progress has been

made in various fields, such as the construction of disaster prevention facilities, the

development of safe residential areas, and the rebuilding of local industries. However,

many people continue to live under difficult conditions to this day, both in the afflicted

regions and in the places where they have evacuated to.

In particular, I am concerned that there may be many people who are still suffering

unknown to us in places that tend to escape our notice, including the elderly as they

advance in age year by year.

It is important that everyone’s hearts continue to be with the afflicted, so that each and

every person in difficulty, without exception, will be able to get back their normal lives as

soon as possible.

Japan is blessed with beautiful nature, but at times that nature can reveal a very

dangerous aspect.

It is my heartfelt hope that the people of Japan make use of the lessons we learned at

great cost from this disaster, cultivate in each person an awareness of disaster

prevention, and hand down that awareness to future generations, so that we can make

our country a safer place.

I would like to assure those people who are continuing to make tireless efforts while

living in great inconvenience that our hearts are with them and, together with the people

gathered here today, express my hope that days of peace and solace will return as

soon as possible to the afflicted regions.

In closing, I offer once again my most sincere condolences to all those who lost their

lives in the Great East Japan Earthquake.

 

MAHALO.

 

 

 

 

3.11は誕生日の人もいる・・・

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ALOHA.

 

「今日で、東日本大震災から四年経った・・・しかし、彼女の誕生日でもある。」

 

3月11日は彼女に誕生日です。

「3.11以降、ヘラヘラして誕生日を祝っていられなくなった。雰囲気的に・・・。」

「可哀想に!・・・まあ、誕生日が来て嬉しい年齢でも無いけどね。」

 

彼女は、四年前の3月11日には中国へ出張中だった。(翌日に帰国って時。)

中国スタッフが「タイヘンダヨ!ニホンガ スゴイコト ニ ナッテルヨ!」って、

教えてくれたらしい。

その頃、日本はシッチャカ・メッチャカで訳分から無い地獄絵図の状態だった。

ここ、湘南も震度5強の大揺れ・・・立っている事さえ困難だった。

 

翌日、状況を飲み込めないままの状態で彼女が帰国した。

TVや人々の話で・・・「東北の太平洋側は壊滅状態」と知った。

恐らく「日本に居なくて良かった」っと思った筈だ。

 

「確かに中国出張で幸せだったと思う。出来れば、あの様な体験しない方が良い。」

 

余談だが・・・。

2001年9月11日のアメリカ同時多発テロ事件の時の話。

浜松町での打合せ終了後に、貿易センタービルの地下の居酒屋で飲んでいた。

飲み終わって直帰した。

辻堂駅に着いて「チョロっと飲んで行くか!」ってんで行き付けの飲み屋へ。

お店に入るなりマスターが・・・、

「ミゾちゃん!大変だよ!貿易センタービルに旅客機が突っ込んだよ!」

「えっつ!さっきまで貿易センタービルで飲んでたよ。」

「違うよ!ニューヨークのだよ。」

「浜松町かと思った。」

(なんてやり取りを思い出した。丁度、日本時間9時45分頃だったかな?)

 

震災から四年経つが、まだ行方不明者が2,584名、避難生活者が23万人もいる現実。

公庫に復興予算9兆円が手づかずのまま残っている様だ。

 

「予算を付けてやったんだから、お前らで考えて使え!」

震災地域の地方自治は「そう言われても、どうしたら良いか?」って感じかな?

「予算はあるけど、使うアイデアが無いんだよね。」

 

「9兆円って凄い金額だよ!消費税を上げる必要あったのかな?」と思ってしまう。

 

MAHALO.

 

 

 

今日もいろいろあったけど・・・

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ALOHA.

 

「今日、東北で二度の強い地震が発生した!・・・東日本大震災の余震だってさ!」

 

2011年の東日本大震災の余震らしいが、あれから4年も経つよ・・・本当なのかな?

「胡散臭くない?」

「4年前の余震じゃあ無くて・・・新たな大きな地震の前兆じゃあないのかな?」

「専門家はちゃんと調査してよ!あれ?間違えた!予測出来なかった!は駄目よ!」

 

等と・・・地震の事は専門家に振っておいて・・。

 

しかし・・・寒いね!東京は雪が降ったし、ここ湘南は一日中冷たい雨が降った!

尚且つ、明日も雪が降ってしかも積もるかも?・・・だってさ!

Facebook でハワイの画像を観ると・・・暖かそうで本当に腹が立つよ!

「ちゅくしょーう!羨ましいよ!明日の最高気温は6度だってよ!フザケタ気温だ。」

 

またまた話は変わるけど・・・。

アメリカ・ウェストバージニア州で原油を輸送中の貨物列車が脱線して大爆発炎上。

貨物列車の車両数が・・・何と・・・109両編成だってさ。

「凄い数だね!良く数えたよね109も・・・あっつ!イチマルキューか!」

 

日本の貨物列車(コンテナ車)は26両編成らしいから・・・4倍以上か!

日本の場合は26両編成(プラス機関車1両)で全長540mだって。

109両編成だと540m×4倍強だから・・・「キャー!全長2,000m以上ジャン!」

アメリカだから1両が日本より長いから3,000m位あるんじゃない?

(アメリカって何でもデッカイな!何もかも、そこもここも、あっちもこっちもデカイ!)

 

「こりゃあ・・・3,000m の距離で原油が燃えているって事か!こりゃあ大変だ!」

 

「まあ・・・いろいろ書いたけど・・・どれもこれも・・・相変わらず内容が薄いね!」

「今年も・・・こんな調子か!いや・・・去年より内容が薄くなっている。」

 

「10年後は・・・認知症のブログで一世風靡するかな・・・うっふ。」

 

MAHALO.