電通鬼十則・・・

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ALOHA.

 

「今日は穏やかな天気だった、昨日程暑く無く『秋が深まってる』と感じた。」

 

大型で強烈な台風22号が中国に向けて進行している。

 

中国上陸後ブーメランの様に進行方向を変え、日本上陸する様だ。

でも、その頃には熱帯低気圧に変わるってさ・・・「良かった、良かった。」

 

 

 

 

「電通の東大卒の新入社員の女性が月100時間の残業で精神的に追い込まれ自殺。」

 

このニュースの記事等を読んで・・・おっさんの戯言。

(おっさんの戯言なので読み流してよ。)

 

「広告代理店や広告制作会社って残業100時間なんて普通じゃん!」

「電通に入社して数年間は、毎日家に帰れると思っちゃ駄目だよ!」

「耐える事が出来なかったら会社を去るしか無い!誰もそれを止めない!」

これが日本の広告業界の現状。

 

「まさか?電通に入社して、毎日ルンルン気分で定時に帰れると思ったのかな?」

おっさんは、電通で定時に帰った人を見た事が無かったけど・・・。

定時で帰るのは派遣社員の女性だけだったけど・・・。

採用が決まった時に、電通の勤務状況等を調べ無かったのか・・・。

 

 

【追記】

クライアントは我儘(わがまま)で、思い付きの様に変更や追加を言って来る。

しかも「明日の朝、私が出社した時には机の上にある様にしておいてね。」

そりゃあ、残業は増えるし徹夜にもなるでしょう。

「それが出来ないと、仕事が無くなり担当者は会社に居る必要が無くなる。」

だから、徹夜になろうが必死になってやる。

こんな事は日常茶飯事。

 

「徹夜や深夜帰宅はクライアントの我儘(わがまま)で起きる事が多い。」

ヤバイ!言い切っちゃった!でも・・・本当の事だから。

 

「そう『クライアント様は神様です』だから徹夜や残業は当然しないとね。」

 

 

おっさんは大学4~5年生の頃、株式会社日本デザインセンターで2年バイトした。

兎に角、広告制作を学ぶために必死に働いた。

よって卒業に5年掛かってしまった。

 

大学卒業後、運良く株式会社電通に入社。

入社後「富士登山」(当時は新入社研修であった)を経験した後に営業局に配属。

そこで「電通鬼十則」を暗記させられる。

 

【電通鬼十則】

1. 仕事は自ら創るべきで、与えられるべきでない。

2. 仕事とは、先手先手と働き掛けていくことで、受け身でやるものではない。

3. 大きな仕事と取り組め、小さな仕事はおのれを小さくする。

4. 難しい仕事を狙え、そしてこれを成し遂げるところに進歩がある。

5. 取り組んだら放すな、殺されても放すな、目的完遂までは・・・。

6. 周囲を引きずり回せ、引きずるのと引きずられるのとでは、永い間に天地のひらき

ができる。

7. 計画を持て、長期の計画を持っていれば、忍耐と工夫と、そして正しい努力と希望

が生まれる。

8. 自信を持て、自信がないから君の仕事には、迫力も粘りも、そして厚味すらがない。

9. 頭は常に全回転、八方に気を配って、一分の隙もあってはならぬ、サービスとはそのようなものだ。

10. 摩擦を怖れるな、摩擦は進歩の母、積極の肥料だ、でないと君は卑屈未練になる。

 

そして、社員に配布される「DENNOTE」。

まだ、電通スローガンが「Communications Excellence Dentsu」。

「卓越したコミュニケーション活動を。」

 

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おっさんのDENNOTE「何故か?この年代の手帳だけが今でも残してある。」

 

先輩や上司達の奴隷となり・・・「1週間に2~3日は会社にお泊りが普通。」

注:この頃はまだ「営業局」って名称で無くて「連絡局」だったかも?

 

営業局(連絡局)を2年経験して、セールスプロモーション局へ異動。

まだ20代だから、徹夜や深夜帰宅は何とも思わなかった。

※当時、深夜帰宅時には先輩社員がタッ券(タクシー券)をくれた。

 

30代は、まだまだ元気!セールスプロモーション局イベント事業部へ移動。

展示会や博覧会そしてスポーツイベント業務。

まだまだ元気なので、毎日深夜帰宅・・・勿論タクシー券を使って。

※この頃になるとタッ券は自分で入手出来る様になる。

徹夜は1週間に1回程度になり人間らしい生活を送る事が出来る。

 

40代は、まだセールスプロモーション局イベント事業部。

40代半ばにマーケティング局へ異動。

仕事での徹夜や深夜残業は無し・・むしろ飲み屋さんでの徹夜が増える。

この頃から、会社に内緒で車通勤。

築地界隈の駐車場を全て把握していた。

 

40代後半・・・。

「メーカーの宣伝部で広告代理店に威張りたい!もっとお金欲しい!」

運良く、新潟の「雪国まいたけ」販売促進課の課長として引き抜かれた。

 

あれ?確か?今年28歳の誕生日だったよね?数字が合わないな・・・不思議だ。

 

ぶっちゃけて言うと・・・。

「おっさんは、日本の広告業界のトップである電通で仕事をした事を誇りに思う。」

業界トップだからこそ出来る仕事を沢山経験出来た。

 

【追記】

おっさんは2020年度(東京オリンピック)の電通の売上が過去最高金額と予測する。

 

MAHALO.

 

 

 

 

電通鬼十則・・・” への4件のコメント

  1. こんにちは。。
    いつこの記事を書くのかなと期待してました。 期待通りの記事の内容でした。
    組織の中にいたので、人には向き不向きがあるのだろうと思う。
    向かない人は、やはり速やかに撤収すべきかなと思う次第です。

    やる以上は業界1にならないと生きていけないかな。

  2. おはようござい

    とても とても 『電通鬼十則』

    あっしには 出来ません

    電通 凄い会社ですね

    しかし

    これを 目標にしたら 

    自殺者が出るかも

  3. Aloha…yyalohaさん。

    何故、自殺するまで電通にしがみ付いていたか?

    やっぱり「電通」ブランドが手放せなかっただけだと思う。
    「私、東大出て電通に勤めているの。私ってクールでしょう!」
    親御さんも
    「娘は東大卒業して、No1の電通に努めてるのよ。子育て上手でしょう。」
    馬鹿げた勘違いだと思う。

    「耐えられなくなったら辞めれば良い、誰も止めはしない。」

    でも、一番間違えてはいけない事があると思う。
    「自分が優れている訳では無い、会社のブランドに仕事が来ている。」
    勘違いして「俺って凄い人。」と思っている人達が多い。

    悲しいかな?恐らく自殺した人もこんな勘違いしていたと思う。
    言い過ぎだろうか?

    業界トップに努めると、
    「見えるモノや経験出来るモノが他の会社とは違うと思う。」

    Mahalo.

    • Aloha…O.Tさん。

      「電通鬼十則」通りにやってる社員は一人もいませんでした。
      戦後間もない1947年に「電通鬼十則」が出来たのですが、
      戦中の「欲しがりません勝つまでは。」みたいな馬鹿げたモノだと思います。

      この「電通鬼十則」を色々企業でも使っているようですが、
      時代錯誤している企業ばかりですね。

      でも・・・ワタミの「24時間死ぬまで働け。」よりは真面かな?

      Mahalo.

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